どんな牌が来るかは選べない。選べるのは何を捨てるかだけ。
選択というものの、これは本質ではないか。
大の大人が大の大人にしてやれることは、金を貸してやるか、人を紹介してやるか、一緒に飲んでやるかの3つしかない
インターネットが縮めた距離を/インターネットが開いてく 今日も/チャットで話してる 時折顔とか忘れてる/なんか踏み切れないし煮え切らない 気持ち都会の人にはわからない/神戸の端から声だしてるけどちょっとログオフしてたら忘れられちゃうでしょ
僕は中高6年間男子校に通っていた。だからまさにアイドルと呼ばれているような年の女の子が何を考えて、どこで大人になっていくのかが全然わからない。今でも。もしかしたら世の中に僕らの思っている純粋な女の子は存在しないのかもしれない。今こうして原稿を書いているマクドナルドで僕のまわりにいるのはガラの悪い、けどまさにアイドルと同い年くらいの高校生の集団で、携帯のスピーカーでAKB48のヘビーローテーションを流してぎゃーぎゃー騒ぎながら誰とセックスしただのいう話をしている。椅子あるのに地べたに座ってる。こんなんでええんかこいつらは。しかもこんな高校生ってそこらへんによくおるし、僕にとって少女から女性への転換期はブラックボックスで、大学に入学したらそこに少女は居なかった。大学で聞く話も”あの女は云々”みたいな話ばっかりになってしまったと思う。正直言って僕もいつか変わってしまうのかは知らないがこういう状況をあまり楽しめる方ではない。
あの日女の子とうまくしゃべれなかったから、何も女の子のことを知らなかったからぼくはアイドルのことを信じたい。そういう立場で居たい。少し大げさな言い方になってしまうがいつまでたってもアイドルは希望だ。僕らとは違って素敵な女の子にはちゃんと素敵に育って欲しい。少なくとも僕はそう思う。
コーヒーに意識があったとしたら、牛乳とどこまで混ざるまでコーヒーとして意識を保てるかな?
生きた人間のすることじゃないのよ、悲しみ続けるのは。
ただこうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。
一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。